Valentine’s Day Jewelry Gift Guide: Pablo Picasso to his greatest love Marie-Thérèse Walter, in remembrance of their daughter - Maya, named María de la Conceptión

今年のバレンタインデーは『贈る』芸術をマスターしよう

良識ある人間として、贈り物のアドバイスとなると、おそらく経理で働く現実的な友人を頼る人は少ないのではないでしょうか。ですが、それは “ジョブイスト”(特定の仕事やキャリアを持つ人に対する偏見)な考え方にあたってしまうかもしれません。もちろん、経理で働く人の中にも贈り物が大得意な人もいることでしょう!しかし、愛を示す行動として、私が個人的にアドバイスを問うとなると、他の人より表向きに感情的である、芸術家に目を向けます。


ザ・フューチャーロックスの編集チームが史上最も有名な芸術家たちの(恋愛)生活と恋愛関係における彼らの傾向を研究し得たヒントをここでご紹介!ここでの学びを活かして、今年のバレンタインデーは最高の贈り物を見つけてください。

ジャン=ミシェル・バスキアからマドンナへ

Jean-Michel Basquiat to Madonna
Generated by Midjourney

1982年、当時のアートシーンのパワーカップルは束の間の恋愛を楽しんでいました。当時バスキアはすでに人気急上昇中の芸術家であり、世界各地のギャラリーや美術館に作品が展示され、業界で名を馳せていましたが、マドンナはまだデビューアルバムを準備中の新人アーティスト。そんな2人の交際は長くは続きませんでしたが、ポップカルチャーとアート界に与えた影響は今も色あせません。


マドンナとの関係を終わらせた後、バスキアは彼女に贈った絵画を取り戻し、彼女が絵画を転売してしまうこと、そしてその行動で二人の思い出と関係性が崩れてしまうことを懸念し、黒く塗りつぶしました。この作品のタイトルは、収集可能な菓子ディスペンサー「ペッツ」を暗示していますが、この絵に描かれた恐竜は、示唆に富む矛盾を生み出すというバスキアの意図を意味していると推測する人もいます。このシンボルは、資本主義の否定的な側面に対する警告のメッセージではないかという説もあるのです。


バスキアの破局後のリアクションはもっと穏やかなものであっても良かったはず。ザ・フューチャーロックスが存在する今、例えば、マドンナにMaaziのDinasaurピアスを贈って、資本主義の極悪非道な本質を常に思い起こさせるようにするのはどう?

アンディ・ウォーホルからトルーマン・カポーティへ

Andy Warhol to Truman Capote
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物議を醸したこの芸術家の私生活は、彼の特徴的なポップアートの画風と同じくらいカラフルなものでした。最初は無性愛者と誤解されていたが、やがてゲイであることを公言し、生活と芸術の両面でクィアであることを表現するようになったウォーホル。手の届かないものには魅了されると言いますが、その通りウォーホルは数々の恋愛を隠すことなく楽しむ中、有名な作家トルーマン・カポーティに興味を抱き、その執着ぶりに週刊誌も目を光らせたと言います。


ウォーホルのカポーティに対する関心は膨れ上がり、やがて彼は強迫観念さえ抱くようになりました。彼はカポーティの家にハガキを送り、彼の後をつけ、よく行く場所の外で待ち伏せするまでに。ですが思いがけない出来事に、この事を知ったカポーティの母親はウォーホルを家に招待したのです。この出会いをきっかけに、ウォーホルは毎日カポーティに電話をかけるようになり、終いにはカポーティの母親が間に入らなくてはいけない事態にまで発展した。ですが、そんな二人はやがて文化的な道が交差し、1970年代に関係は友情へと変わっていったのです。


ウォーホルの執着を健康な欲望に変える方法の一つは、カポーティにMatildeのDesejoネックレスを贈ること!ポルトガル語で「欲望」を意味するこのネックレスは、独特で魅惑的な形状の14kリサイクルゴールドとラボグロウンダイヤモンドで作られています。

サルバドール・ダリからエレーナ・イヴァーノヴナ・ジヤーコノヴァへ

Salvador Dalí to Elena Ivanovna Diakonova
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ダリの芸術活動を大きく形作った彼のセクシュアリティ。インポテンツと親密な関係への恐怖と並んで、女性器への永続的な嫌悪で知られるダリの恋愛は、(ある意味で)リストの他の芸術家と比べ、実り多いものではありませんでした。


ダリが生涯のパートナーとなる、エレーナ・イヴァーノヴナ・ジヤーコノヴァ、通称ガラと初めて出会ったのは、彼がまだ24歳の時。10歳の年齢差にもかかわらず、彼女が亡くなるまでの53年間を共に過ごしました。ガラの死後、ダリは1960年代後半にガラのために特別に手に入れたスペインのプボル城に閉じこもり、食事や人が尋ねるのを全て拒み、ガラの名前を口にすることさえ禁じました。1973年の作品『ダリの告白できない告白』の中で、ダリはガラへの深い献身を表明し、城全体がガラへのオマージュであると宣言した。彼はこの家を天空の大聖堂と表現し、ガラの主権と、ガラに与えた邸宅に凝縮された彼自身の彼女への深い愛着を強調しました。


プボル城と同じく、ロワール古城の一部であるサリー城は、堂々とした丸い塔で知られています。ガラへの永遠の愛をさらに証明するために、ダリはMimokeのSullyリングをプレゼントすることをおすすめ!このリングには閉め出されたり、許可を得ることも必要ないですからね...そう、ダリは妻の承認なしにプボル城に入ることは許されなかったのです。

パブロ・ピカソから最愛の人マリー=テレーズ・ワルターへ、娘のマヤ(実名:マリア・デ・ラ・コンセプション)を偲んで

Pablo Picasso to Marie-Thérèse Walter
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この記事で取り上げるのが最も難しい芸術家の一人であるピカソ。言うまでもなく、ピカソの恋愛は自らが描く絵画のようでした(ダジャレです)。少なくとも9人との関係を認めながら、彼の人生における最大の愛を特定するのはとても難易度の高い質問であり、彼自身でさえその答えを導き出せないかもしれません。幸いなことに、複数の学者や美術愛好家の協力を得て、マリー=テレーズ・ワルターとの関係が、少なくとも彼のキャリアにとっては、もっとも重要であったと言えるでしょう。


ピカソのミューズであったワルターは、彼の数々の作品や彫刻にインスピレーションを与えました。そして、ワルターの足跡をたどり、マリア・デ・ラ・コンセプション(ピカソとワルターの娘)、通称マヤも、ピカソの子供たちの中で最多となる、14個の肖像画のモデルになりました。これらの絵は、彼の父としての幸福と芸術家としての充実を見事に絡め取り、父親として、また芸術家としての喜びを表しています。


喜びの象徴であるJoyfulネックレスが、父娘二人が分かち合った数々の素晴らしい思い出を偲び、日々に喜びをもたらしてくれるアイテムになりますように。

キース・ヘリングからファン・デュボースへ

Keith Haring to Juan Dubose
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Iへリング自身が、親密なエピソードのひとつとして、恋人であったファン・デュボースの思い出をシェアしてくれました。


“ファンはクリスマスに、家族全員が集まる団らんの場に一緒に来てくれたんだ。父には10人の兄弟姉妹がいて、うちは海兵隊一家なんだ。父の親戚はみんな海兵隊員で、自分も望めば海兵隊員になれたことを知ってる。マッチョな一面もあるけど、自分自身や家族に対する誇り、そして本当に些細でシンプルなものを大事にする面もある。でも、私が海兵隊員にならず、また、ゲイであることを家族全員が知っていたにもかかわらず、家族は私をリスペクトしてくれたことが本当に信じられなかった。ヘリングは家族の名であり、私が成し遂げたことは彼らにとってとてつもなく誇らしいことだったんだ。そして、直接話したことはないけれど、私がファンと暮らしているニューヨーク宅に遊びに来てくれた時に、両親は彼にクリスマスプレゼントを買ってきてくれて、彼を家族の一員として受け入れてくれたんだよ。” ー キース・ヘリング、1989年


ヘリング家に受け入れられた証として、EurekaのFigureリングは完璧な贈り物になったことでしょう。海岸に打ち寄せる波の不思議さと優美さを表現したこのリングは、ヘリング家の背景を完璧に表現しているアイテムです。